保坂新の戯言集

どこかの誰でもないアンポンタンがどこかの誰かである人が作った作品にうだうだ一丁前に評価を下すブログです 話半分に流していただければ幸いですTwitter:@chuhri0703

Kanon問題とそこから広がるノベルゲームの可能性

まず読んでくださってありがとうございます。

私の記事を読んでくださるような人はノベルゲームという物は勿論ご存知だと思います。

ならノベルゲームの長所とは何か?この問いへの答えは持ち合わせているでしょうか?

 

音楽や立ち絵を使った演出か?

地の文でしか書けない言葉か?

表情に隠された感情の読み取りか?

 

恐らくたくさんの意見があると思います。ですが今回はノベルゲームの草分けとも言われているある作品で語られた問題からその長所を読み取っていこうと思います。

 

その問題とはKanon問題です。

 

なお今回の記事のはかなり多くの作品の根幹の部分に関わることが書かれています。一応具体的なネタバレは気を付けていますがテーマにかかわる部分ではネタバレとなってしまっています。もしそこが気になるようでしたら読むのを止めるのをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1.Kanon問題とは

 

まず前提となるKanon問題について語りましょう。

Kanonとは1999年にKeyから発売された若き頃の麻枝准,久弥直樹による作品です。

Kanon|Key Official HomePage

f:id:chu-linozaregoto:20181119220759p:plain

家庭の事情により北国(「雪の街」)の叔母の家に居候することになった相沢祐一。7年前まではよく訪れていたにも関わらず、彼には当時のことが思い出せずにいた。そんな中、彼はそこで出会った5人の少女達と交流を深め、幼い頃の大切な記憶を取り戻していく。

まず、両親の海外赴任に伴い、叔母の水瀬家に居候させてもらうことになり、「雪の街」へ7年ぶりに帰ってくる。そこで「水瀬名雪」に再会する所から物語は始まる。

名雪との関わりあいから、他の各ヒロインに出会っていく流れである。また、様々な事情により、水瀬家に居候をするヒロインも存在する。そして、各ヒロインのルートにおけるストーリーへと繋がっていく。

Kanon (ゲーム) - Wikipedia

 この物語は各ヒロインと関わることでそのヒロインが抱えている問題と向き合い、とある少女による奇跡で物語がハッピーエンドに導かれます。

 

ならKanon問題とは何か?これはノベルゲーム界で以前から論じられてきた問題でもあります。

togetter.com

 この問題の本質は「誰かを救うことで他のヒロイン達は救われず悲劇に直面してしまう」という部分にあります。Kanon問題は久弥氏の担当したルートで特に顕著に表れており、氏が担当したルートにおいて月宮あゆ美坂栞はルートの入らなければ悲しい結末となることが見えています。

 

このような選ばないことで救われないヒロインが存在してしまうという構造は他の作品でも見られます。その一つとしてこの後にKeyから発売されたAIRも該当するでしょう。

AIR|Key Official HomePage

http://key.visualarts.gr.jp/sozai/air17.jpg

シナリオは第一部「DREAM編」・第二部「SUMMER編」・第三部「AIR」の三部構成となっている。

第一部は現代が舞台であり、主人公であるさすらいの人形遣いの青年(国崎往人)が、海辺の田舎町で偶然出会った少女達と紡ぐひと夏の物語が描かれる。ゲームの進行は、プレイヤーが選択肢を選びながら男性主人公がヒロインを攻略するというもので、一般的な美少女ゲームと同様である。

第二部では、千年前の夏が描かれ、第一部での主人公とヒロインの間の運命的なつながりが暗示される。第二部以降は、通常の美少女ゲームでは存在する「選択肢による分岐」やポルノシーンがほとんど存在することなくストーリーが進む。

第三部では、現代に戻って第一部と同じ時間・場所が舞台となり同じ物語が反復されるが、プレイヤーの視点は国崎往人ではなくカラスの「そら」となっており、その視点から第一部での往人と観鈴の物語を傍観することになる。

AIR (ゲーム) - Wikipedia

 この物語は第一部であるDREAM編で大きな分かれ道が存在します。それはメインヒロインである神尾観鈴の物語に寄り添うか寄り添わないかという物です。事実この選択はゲーム中でも重要な選択肢としてプレイヤーに提示されます。

 

この選択肢で神尾観鈴に寄り添わない場合、SUMMER編で語られる悲劇は未解決のままとなります。特に霧島佳乃のルートでは解決の糸口となる力を失うことになるため先祖から続いてきた願いを果たすことなく幕を閉じてしまいます。なら神尾観鈴を選んだ場合はどうなるか?この場合は選ばれなかったヒロイン2人の問題は未解決となってしまい、やはり救われることがありません。 

 

これらの誰かを選ぶと誰かが救われないという構造は物語へのカタルシスを産むために多々扱われ、この構造に特化した分岐方法である通称脱落方式と呼ばれる分岐方法が生まれました。

 

この脱落方式の作品として有名なものとして2008年に発売されたG線上の魔王があります。

http://www.akabeesoft2.com/g_sen/

f:id:chu-linozaregoto:20181119230303j:plain

 

このゲームではメインヒロインである宇佐美ハル以外に3人のヒロインが存在し、彼女たちの物語を順に読み進めることで最後にメインヒロインの物語にたどり着くことができます。ここで問題となってくるのは分岐の方法です。この作品では各ヒロインの物語中で一つの選択肢でそのヒロインに寄り添うかどうかを決めます。もしこの選択肢でそのヒロインを選んだ場合メインヒロインの問題は解決されることなく終わり、真実を知ることなく別れることになります。

 

このように脱落方式は各ヒロインのシナリオの終盤に一つの選択肢を投げかけられ、本筋から脱落するかどうかを問いかけられます。この分岐方法の作品は他にも存在し、2011年に発売された穢翼のユースティアや2016年に発売されたアマツツミもそのうちに入ります。この形式の物語の特長として存在するのはメインヒロインに大きな問題が存在し、その問題はそのヒロインの物語に進まない場合解決することなく終わってしまうという特徴があります。

 

このように分岐によって発生してしまう悲劇をKanon問題として取り扱われていますが実際はそれだけでしょうか?

次はもう少し解釈を拡大して考えてみましょう。

 

2.Kanon問題の拡大解釈

 

 ここまでKanon問題は選ばないことで避けられない悲劇に焦点を当ててきました。しかしここでいう悲劇とは何かをこの章では考えてきます。

 

物語における悲劇と言えば、「別離」が頭に浮かぶ人が多いかもしれません。

事実前章で例に挙げてきた作品たちは選ばれなければ主人公の元を去り、自らの支えであった約束を達成できなかったり、願いを叶えることなく生涯の幕を下ろしてしまうキャラクターが存在する作品ばかりです。

 

ならばその最後が悲しいものならば悲劇なのでしょうか?

 

この疑問に一つの答えを求めるように作品作りを行うゲームブランドがあります。

それはtone work'sです。

tone work's official website

 

このブランドが2014年に発売した星織ユメミライという作品があります。

toneworks.product.co.jp

建築士を目指している主人公・日野涼介は、7年ぶりに故郷である汐凪市に戻ってくる。涼介は汐凪第一学園に転入し、幼なじみとの再会や新たな少女との出会いを経験する。後に涼介は行事運営委員会に入り、6人のヒロイン達——逢坂そら・篠崎真里花・瀬川夏希・沖原美砂・鳴沢律佳・雪村透子——と交流していく。やがて涼介は一人のヒロインと親密になっていく

星織ユメミライ - Wikipedia

この作品の特長として全ヒロインに学園編で結ばれた後にアフター編という家族になるまでの物語を描いたシナリオが存在していることです。このため選ばれなかったヒロインのその後も自ずと描かれることになるのですがこれを使った人間関係の大きな変化が非常に上手く描かれています。

 

作中でも特に選択の影響を受けるであろうヒロインは3人存在します。それは逢坂そら、篠崎真里花、雪村透子です。

 

まずは逢坂そら、篠崎真里花から。この二人の共通点として幼いころに主人公と出会っているという点が存在します。前者は初恋の少年として、後者は数少ない幼馴染というポジションを持っており、共に主人公への好感度は最初から高くなっています。また逢坂そらは再会した場面の時点で主人公のことに気づいており、他のヒロインを選ぶ場合その事実が伝えられることなく胸に秘めたまま終わります。篠崎真里花においても元々病弱だった体を主人公との時間を取り戻したいという思いを糧に病気を克服したという過去を持っています。いずれも自分が選ばれなければ胸の内に仕舞われたまま語られることなく一人の友人として物語の幕を下ろしてしまいます。

 

また雪村透子においても同様の側面が存在します。彼女の場合は幼馴染という立場は持ち合わせていませんが、過去とそこに起因する性格に特徴があります。彼女の両親は所謂転勤族であり、同じ高校で長期間過ごすということはありませんでした。このため特定の誰かと深い仲になることを避け、自分の居場所という物が確立することができていません。彼女のルートでは彼女の居場所を作ることができるかという物が主題となり、選択肢の積み重ねによっては居場所を作ることができず、作中唯一のBADENDに進むことになります。また彼女は他のヒロインを選んだ場合も自分の居場所を見つけることができず、転校してしまうこともシナリオ等で語られています。このように選ばなければ悲劇とまでは言えませんが物寂しい道を選ぶことになります。

 

このように選ばなければ語られることがない事実をルート内で語ることで他のヒロインルートでの末路のもの悲しさをtone work'sの作る作品では提示してくることが多く、その後に2016年に発売された銀色、遥かにおいても、「選ばれない場合遠い海外で主人公たちとの関係が希薄になってしまうベスリー・ローズ・ディズリー」、「選ばれることががなくても孤独に主人公との約束を果たすために銀盤を舞うスケート選手の如月瑞佳」、「兄に対して秘めた想いを抱えたまま家族としてその傍に居続けることになる新見雪月」の3人が存在しています。


これらの問題は必ず主人公が救うべき問題であるかと言われると違うと思います。しかしそれを描くことは業界のタブーで禁じられています。その発端となった事件があります。それは通称たまきん事件と呼ばれるものです。

エルフ製作大人ゲームだった「下級生」の続編として発売された本作は前作の人気も相まって
ユーザーからは大きな期待が寄せられていたが、前述のとおり、パッケージを飾っていた柴門たまき
彼氏持ち非処女という設定がユーザーからの怒りと反感を買い、2chエロゲなどで祭り状態に
なるなど、大きな騒ぎに発展してしまった。中にはエルフファンクラブを退会したり、ディスク叩き割り、
製作会社のエルフに送りつける者まで出てしまった。さらにはコトの最中に前の彼氏の名前を出したりなど
彼女の性格や言動も騒動に火に油を注ぐ結果となり、2chではアンチスレの方でビッチ扱いされてしまうなど
なんともかわいそうなことになってしまった。ちなみに製作側のエルフはこの騒動を知ってか知らずか、
沈黙を貫き通し、騒動がおさまってからファンクラブ会報でフォローを入れたそうだが、時すでに遅し。
たまきのは回復することはなかったようである・・・。

下級生2とは (カキュウセイツーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

この問題からヒロインの背景に男の存在をちらつかせることは避けられることになり、場合によっては作中に男キャラが主人公のみという歪な空間を形成することの大きな原因ともなっています。また2005年にKeyから発売されたCLANNADにおいても類似した問題を抱えたキャラクターが存在します。それは柊勝平です。

CLANNAD|Key Official HomePage

f:id:chu-linozaregoto:20181120135831p:plain

この柊勝平というキャラクターは男性キャラなのですが、ヒロインの1人である藤林杏の妹であり、ルート内で彼女と主人公をめぐる相手である藤林椋と結ばれるために存在するキャラクターです。彼の存在は藤林杏のルート内でも示唆されており、少なくとも2人のシナリオ内で出会い、結ばれる運命となったいることがわかります。問題なのはこの結ばれた事実が寝取りに該当するのではないかという批判が存在することです。

 

藤林椋は物語中で主人公と結ばれるシナリオはBADEND扱いとなっており、何かから向き合うことから逃げた末路として捉えられています。このため藤林椋とは正規ルートで結ばれることはなく、彼女が好きであったファンからは藤林杏のルートの重さと合わせて大きな批判を作り出すこととなり、魁氏のシナリオライターとしての評価に大きな影を落とすこととなります。確かにこの分岐方法は問題であると思いますが、そもそも藤林椋は主人公と結ばれるキャラクターとして作られておらず、柊勝平とともに学園編で主人公の友人達が結ばれることで生まれる幸せや絆を描写するためのキャラクターとして作り出されています。この問題において重要なのは登場する女性キャラクターは必ず主人公に攻略することができるという前提でプレイしている人が多いという点です。このため攻略不可能なキャラクターが他のヒロインと結ばれた時に批判が殺到することもあり、基本的に誰とも結ばれる描写がないというパターンがほとんどです。このように攻略不可能なキャラクターでさえも大きな批判が生まれるため、攻略ヒロインでは他の男性と結ばれることが描かれることはまずありません。

 

以上のような問題からヒロインは主人公、つまりプレイヤーに独占されるものとして描かれることが多いのです。その事実を突きつけ、そこから生まれる悲しみを描いた作品が存在します。それは2018年にゆずソフトから発売されたRIDDLE JOKERです。

 

RIDDLE JOKER リドルジョーカー OFFICIAL WEBSITE|ゆずソフト

f:id:chu-linozaregoto:20180906002611p:plain

超能力が解明され、アストラル能力として体系化された時代で主人公の在原 暁 は普段は一般人として生活をしながらアストラル能力を使って活動する秘匿組織のエージェントとして学院に潜入する密命を受ける。

RIDDLE JOKER - Wikipedia

この作品には義妹である在原七海というヒロインが存在します。このヒロインは主人公と義理の父親のおかげで人間らしい感性を取り戻したという過去を持ち、その過去から主人公のことを初期から愛しているという側面が存在します。事実他のヒロインルートに進む上でそのヒロインと付き合うと伝えられた時のリアクションが必ず描かれており、複雑な表情を浮かべることが多くあります。特に親友である壬生千咲のルートではその部分がはっきりとクローズアップされており、悲しい思いを抱えながら主人公の背中を押すというシーンが存在します。

 

このように誰かを選ぶことで悲しい思いをすることはノベルゲームという分岐により広がっていく物語という形をとっている以上は必ず存在し、選ばなかったヒロイン達を切り捨てるという構造が必ず存在しています。これは一見欠点のように見えますが本当に欠点なのでしょうか?

 

3.選ばれないからこそ生まれる物語

 

前章では選ぶことができなかったヒロイン達の悲しみの存在を言及しましたが、その部分を物語の構造に取り込み、カタルシスを産むためのギミックとしている作品が存在しています。この章は傷をつけたヒロインの存在があるからこそ生まれた物語の重みについて考えていきましょう。

 

このギミックを使い、大きな評価を受けている作品が存在します。それは2010年に前編、2011年に後編がLeafから発売されたWHITE ALBUM2という作品です。

 

leaf.aquaplus.jp

 

舞台は2007年秋東京都。峰城大付属3年生の北原春希は学園生時代の思い出を作るため、軽音楽同好会へ加入し、学園祭でステージに立とうと思うが、本番を待たずしてバンド自体がメンバー間の痴情のもつれから崩壊してしまった。学園祭に参加することを諦められない春希はメンバー集めを開始、屋上で歌っていた学園のアイドル小木曽雪菜を勧誘することに成功する。更に、クラスの問題児冬馬かずさがピアノの天才であることをつきとめ、紆余曲折の末に彼女をメンバーに迎えることに成功する。バンド再結成から本番まで時間も無くバラバラだった3人だが、練習などを通じて結束を深め、結果として学園祭のステージは大成功を収めた。しかし、3人の想いはステージ終了後から少しずつすれ違いを始め、悲劇的な結末へと走り出すこととなる。

WHITE ALBUM2 - Wikipedia 

 この作品はメインヒロインの小木曾雪菜により始まり、彼女によって大きく歪められた物語となっています。この影響か後編で唯一のメインヒロインとして活躍することになるclosing chapterは彼女のルート以外ではどこまでも彼女を傷つけ続けるという構成となっています。また前編においてももうもう1人のメインヒロインの冬馬かずさが好きになるような構成となっており、負け犬の小木曾雪菜と捨て犬の冬馬かずさの物語とファンの間で語られるほどです。

 

introductory chapterにおいて小木曾雪菜は大きな罪を犯し、その罪を清算させられるかのようにclosing chapterにおいては主人公が他のヒロインに向かった場合捨てられてしまうという構成になっています。そして彼女を選び、共に歩むという選択を選んだ先にもう一度codaという物語が始まり、冬馬かずさとどちらを選ぶかという選択を突きつけられます。

 

この構成ではintroductory chapterは冬馬かずさを好きになるための、closing chapterは小木曾雪菜を好きになるための物語になっており、codaにおいてどちらかを選び、どちらかを捨てるという選択をしなければなりません。この上で重要になってくるのはこの物語は小木曾雪菜が3人でいたいと思ったからこそ始まった物語であり、その元凶となっているところです。この作品では雪菜派とかずさ派の議論が活発に行われており、意見を二分するに至っています。

 

この別れ道はやはりintroductory chapterにおける小木曾雪菜の罪をclosing chapterで許し切れるかという部分に帰結していると思います。そしてこの葛藤こそが選択への苦悩を生みだし、名作に至らしめているのではないでしょうか?

 

この他にも最後になるまで選ぶことができなかった物語でヒロインの真意を突きつけることでカタルシスをもたらす構成をしている物語として2017年にSAGAPLANETSから発売された金色ラブリッチェが挙げられると思います。

 

sagaplanets.product.co.jp

 

未来の紳士淑女を作る場所である、私立ノーブル学園。教養だけでなく品格を学ぶための全寮制の学園である。学園では今年は王族が来たとのことで例年にない緊張感を帯びていた。主人公・市松央路は、思いがけないことからお姫様に気に入られ、学園に叩き込まれた。しかし空き部屋の関係で女子寮の端に押し込まれてしまった

金色ラブリッチェ - Wikipedia

この作品で軸になってくるのは主人公とシルヴィア・ル・クルスクラウン・ソルティレージュ・シスア(以下シルヴィ)と僧間理亜の3人の関係性であり、選択してきた物語の重みと僧間理亜の願いを知ることができるのはオーラスルートであるGOLDEN TIMEにたどり着くまで知ることができないという構成となっています。そしてその事実を知ると各個別ルートの意味合いが大きく変化します。

 

その中でも大きく変化するのはシルヴィルートでしょう。僧間理亜の願いを叶えることができるのはこのシルヴィルートとGOLDEN TIMEだけとなっています。GOLDEN TIMEをプレイした後にもう一度シルヴィルートをプレイしてみると僧間理亜が願いを叶えるために何をしていたのか?どういう思いで2人と関わっていたのかがわかります。そしてオーラス後ではある追加シーンが存在し、その願いが叶ったことが示されるという構成になっています。

 

対して他のルートではどうなっているでしょうか?理亜に関して共通して描かれるシーンがあります。それは他のヒロインを選ぶと決めた主人公に対して寂しそうな表情を見せるというシーンです。このシーンの後も僧間理亜は主人公の傍で一人の友人として主人公の恋路を応援し続けます。この描写もGOLDEN TIME後に大きく意味が変化します。自分の願いが叶うことがなくても大切な主人公が幸せになることだけを望み日々を過ごしていく、この描写はGOLDEN TIMEにおける僧間理亜への思い入れに大きくかかわっているのではないでしょうか?

 

僧間理亜の願いである主人公とシルヴィが結ばれるという願いは身分という点でも非常に難しい部分があります。それでも彼女の願いが叶えられてほしい、そう願うことが自然とされるように作品全体で主人公、シルヴィ、僧間理亜の物語に徹した物語となっており、特化しすぎて他のヒロインが割を食ってしまっている部分もあります。ですがその願いを叶えられることを彼女がどれだけ願っていたのか、この事実は共通からかくヒロインルートまで大量に張り巡らされているからこそ最後に彼女の願いがかなえられた時に感動することができる、そんな構成となっています。この叶えられない物語を知っているからこそのオーラスルートの素晴らしさも選択肢があるからこそ描くことができているのではないでしょうか?

 

ここまで選択肢の重みをしっかり伝えることに成功したルートについて例を挙げてきましたが、残念ながら伝えきることができなかった作品もあります。

 

それは2015年にU:strackから発売された恋×シンアイ彼女です。

 

ustrack.amusecraft.com

 

國見洸太郎は、御影ヶ丘学園に通う、小説家志望の高校生。しかし、過去の失恋が原因で恋愛小説だけはどうしても書けなかった。そんな中迎えた高2の春。御影ヶ丘を含む3校の統合、そして幼馴染の帰還。それをきっかけに、洸太郎をとりまく環境と日常は大きく変わっていく。

恋×シンアイ彼女 - Wikipedia

 この作品は最大にして賛否を大きく分け、新島夕というライターの評価を大きく変化させてしまった特徴があります。それは3人のヒロインが結ばれるのに対してメインヒロインである姫野星奏とは結ばれずに最後を迎えてしまうという点です。

 

 3人のヒロインのルートにおいては所謂キャラゲーと呼ばれるようなシナリオが続きます。ヒロインと結ばれ、抱えている問題を解決し、絆を深めていく、ある意味でありきたりでどこまでも幸せな物語です。対して姫野星奏は幸せな日常を捨てて主人公の元を去ってしまいます。その後終章でもう一度再会し、絆を深めることになるのですが最後の最後でもう一度去ってしまいます。この行動をしてしまった理由は明確に描かれることは作中ではないのですが、自らが追いかけなければならなかった物を自分が本当に手に入れたかった物を捨ててまで追いかけた結果であると語られています。

 

この物語において姫野星奏の行った行動は明確な裏切りです。ですが彼女がどうしてそのような行動をとったのか?その追いかけ続けた道のりを肯定することができるのか?この点が作品の評価を二分する点であり、シナリオライターである新島夕氏が書きたかったものであると考えられます。事実他の3人の物語では幸せになる姿が描かれます。そしてヒロインの一人である新堂彩音のシナリオでは夢を捨ててでも主人公と結ばれることを選ぶ少女が描かれています。主人公ももし姫野星奏以外のヒロインを選んでいたら、また終章で登場する森川精華を選んでいたのなら幸せな日々を送ることができたでしょう。しかしそれを選ばずに姫野星奏に自分の想いを伝え続けます。その結果がたとえ幸せに結びついてなくてもその道のりを後悔することはない。そんなメッセージがこの作品に込められています。残念ながら多くの人が姫野星奏との物語を肯定することなく、後悔するという結果となってしまいましたが、この作品も選ばなかった幸せな物語があったからこそ彼女の物語の美しさを強調しようとした作品といえるのではないでしょうか?

 

これらのように選ばなかった物語の存在や選ぶことで傷つけてきたヒロイン達の存在が作品におけるギミックとなり、オーラスルートにおけるカタルシスを産む構成となっている場合が多くあります。ならこれらの要素は他のメディアでは再現することができるのでしょうか?

 

4.ノベルゲームは下位互換なのか

 

近年ノベルゲームはアニメやライトノベルに市場を奪われて衰退しているという声が存在します。ですが本当にそうなのでしょうか?この章では他のメディアと比較してノベルゲームの強みを分析していきましょう。

 

アニメの長所を考えていくと次の2つが挙げられると思います。

・動き、音楽を使った物語の構成

・視聴への壁が低い

 

まずは前者から、アニメにおいて最大の長所であるのはキャラクター達が動き、その心情に合わせて音楽を使うことができる、この点は疑いはないでしょう。アニメにおいて戦闘描写が高く評価されている作品、ダンスなどのキャラクター達を可愛く演出するための動きに特化した作品、これらの作品はそのクオリティが高ければ高いほど作品の評価に直結しています。また1つのシーンの印象を深くするために音楽を使いキャラクターの心情を表現したり、場面の雰囲気の転換を行うことができる点も大きな特徴といえるでしょう。次に後者、この点は現在アニメが大きな影響力を持っている理由であると考えています。アニメを視聴する上で大きなメリットとなっているのは視聴者はほとんどお金を使わなくてもいいという点です。まずアニメはテレビによる視聴が可能です。そして時間が合わない、放送されていないという場合でさえもインターネットを通して配信サイトから公式で見ることが容易となっています。このようにアニメは他のメディアと比較しても容易に視聴ができ、ファンを獲得しやすいという点があります。またテレビ放送や配信生放送などに合わせてTwitterなどのSNSを使って感想を呟くことができ、同じ時間を他の人と共有しているという実感を得ることができるという点も大きな利点でしょう。

 

なら短所は何か?それは次のようなものが挙げられると思います。

・製作費用が高く、長い物語を作るのに向かない

・視聴のための壁が低い分途中で視聴を辞めてしまうことも容易

・モノローグなどの地の文を使った感情表現を使うことが難しい

・視点が第三者である必要性からギミックへの制限が存在

 

アニメの製作費は深夜アニメで3億円とも言われています。

gamebiz.jp

これは1クール、つまり時間にして13話×30分=390分という時間にかかる製作費であり、この中で多くの作品は物語を完結させなければならないという問題があります。このためアニメにおいて問題となってくるのはキャラクター達の心情の描写不足や唐突な行動、存在意義が不明瞭となってしまっているキャラクターなどが存在してしまうことが事実として存在しています。これらは物語を長くすればその心情や背景、役割もしっかりかけるのですが製作費の問題でやはりそれだけの描写をすることは難しいです。またこの390分という時間も視聴する側から考えると長い時間と捉えられます。これは現在あまりに多くのアニメが製作され、視聴する側もその取捨選択を迫られてしまっていることに起因しています。このため序盤で面白くないと判断された場合支払ったお金もほとんどないため簡単に捨てることもでき、本当に製作側が伝えたかった物語にたどり着く前に視聴を止められてしまう場合が多くあります。

 

この他にもアニメにおける表現という点での短所はいくつかあります。アニメには地の文が存在せず、多くの表現を台詞と動きで表現しなければならないという点があります。このため主人公の心情やその変化をモノローグで語ることがしにくく、多用した場合ポエム的という批判をされる場合があります。また地の文を用いたギミックや音声をなくすことや敢えて描かないということで成立する叙述トリックといったギミックはアニメではどうしても使うことが難しくなります。

 

ならばライトノベルはどうでしょうか?ライトノベルの長所は次のような長所が挙げられると思います。

 

・安価で購入が容易

・持ち運びしやすく利便性が高い

 

 

前者に関しては多くのライトノベルが1000円以下で購入することができ、物語を読むという点では本という体裁を取っていることからも持ち運びも容易です。価格が安いため好みではなかった時のダメージも低く、気軽に気になった作品に手を伸ばすことができるという点も大きな長所であると思います。

 

なら逆に短所は何なのか?これは次のような点が挙げることができると思います。

 

・文字と数枚の挿絵だけのため印象の強い演出を行うことが難しい

・一巻ごとの展開の制限から確信までの物語が切り離されてしまう

・テキスト量が巻数で視覚化されるため多量になるほど手を伸ばしにくい

・長編の場合完結までに長い時間がかかる

 

 ライトノベルは数枚の挿絵があるものの基本的にテキストだけの物語です。このため音楽やキャラクターの表情の変化を使った演出は難しく、映像のみで表現する必要があったアニメに対し、ライトノベルは字だけで演出を行わなければいけません。またアニメよりは縛りが緩いですが次巻への期待を煽るために物語の終わらせ方や配分などを考えなければならず、単巻で終わる作品でもない限りすべての物語を一つの巻にぶつけることはできません。またこれらの障害を乗り越えたとしても長期連載になるにつれて巻数が増えていき、最新刊を買ってもらうためにそれまで発売された巻も読んでおかなければならなくなります。この量が増えれば増えるほど新規の読者は入りにくく、抵抗が生まれてしまいます。そして一巻ごとの出版ペースによっては核心の物語にたどり着くまでに非常に長い時間がかかり、その本質にたどり着く前にリタイアしてしまうという可能性が存在します。

 

このようにアニメやライトノベルにも欠点といわれる部分が存在します。ならばそれらの要素についてノベルゲームはどのようになっているでしょうか。まずノベルゲームの長所として次のような部分が挙げられると思います。

 

・文章,絵,音楽のハイブリットのため演出の幅が広い

・選択肢によるギミックの仕掛け

・一作で完結する長編タイトルの作りやすさ

 

これまで比較対象として挙げてきたアニメ、ライトノベルと比べるとノベルゲームはその中間のような立ち位置となり、立ち絵やCGの変化、テキストによるミスリードの誘導、音楽による物語の転換といった様々な演出が可能となっています。またこれまでお話してきたように選択肢による物語の重みの増加や印象深めるといった要素はアニメやライトノベルでは行うことができない最大の長所であると思います。またノベルゲームのプレイ時間は大体の作品が30時間ほどとなっており、1クールアニメの5倍もの時間を物語に費やすことができ、その作品中で長編の物語を完結させることができるという長所も存在します。なら反対に短所はどこにあるか?それは次のようになるのではないでしょうか?

 

・1本当たりの値段が高い

・1本当たりのプレイ時間の長さ

・作品による当たりはずれによるダメージ

 

まずノベルゲームにおいて最大の問題点とも言えるのが値段だと思います。一般的な大作、特に話題になりやすい作品はフルプライスという価格帯となり、9000円以上します。近年ロープライスと呼ばれる作品も多くなってきていますが、これらの作品はプレイ時間は10時間程度のことが多く、選択肢などの分岐がないものが多くなっています。また中古価格が大きく下落することで購入が容易になるケースが多くありますが、この場合製作したメーカーへの収入とはならず、メインとなってしまった場合はメーカーの先細りにつながり、新作を出すことが難しくなるという現象が起きてしまいます。また長所として挙げたプレイ時間も現在の多くの作品に容易に触れることが可能な業界において1つの作品に長く拘束されてしまうということは避けられがちであり、プレイする際の壁となってしまっているのも現状としてあります。そしてこれらの要素と合わせて最大の問題点は作品がつまらなかったり合わなかった場合、その作品にかけた時間と資金が他のメディアと比較して多く、ダメージが大きくなります。これらの要素が積み重なり現在の業界の現状を作り出してしまっているのではないでしょうか?

 

以上のようにノベルゲームの問題点を挙げてきましたが、購入の際の障壁の大きさが大きな欠点となっており、物語における演出などの要素には関係していません。むしろ長い物語を許容できるのならば、長い物語や分岐などのノベルゲームでしかできない要素も存在し独自のものができると考えられます。特に分岐が作品における軸として大きくかかわっている場合、その作品を他のメディアに落とし込むことは非常に難しいことが多くの作品が証明しています。

 

その中でも近年アニメで放送された2011年にKeyから発売のRewriteは良い例といえるでしょう。

 

key.visualarts.gr.jp

文明と自然の調和を図る都市・風祭。この街にある風祭学院高校に主人公・天王寺瑚太朗は通っている。秋の収穫祭が近づくにつれ、瑚太朗の周囲では非日常的な出来事が頻発するようになる 。残り少ない学園生活に対し焦りを感じていた瑚太朗は、自分を変えようと動き始める。

瑚太朗は、森遊びをしていた昔馴染みの神戸小鳥を迎えに行った夜を境に、心霊現象に悩まされるようになってしまう。オカルト研究会の会長である千里朱音に原因不明の出来事を相談したところ、瑚太朗は無理やりにオカルト研究会に入らされてしまう。自分を変えるため瑚太朗は小鳥をオカルト研究会に誘い、部活に打ち込むことを決意する。研究会員になった瑚太朗は、知り合いを巻き込んで謎の調査へ乗り出していく

Rewrite (ゲーム) - Wikipedia

 

今作においていずれのヒロインルートでも世界の現状と危機が描かれ、その行く末のなさが描かれます。またメインライターである田中ロミオ氏の担当した神戸小鳥、千里朱音のルートでは特に象徴的なのですが、とある事件以降再び他のヒロイン達と共通ルートのように過ごすことができないという姿が描かれます。これらの失ってしまった大切な日常や未来のない世界の現状を5人のヒロインそれぞれに寄り添うことで知り、それをオーラスルートで解消するために主人公が努力するという構成となっています。

 

ですがこれらの描写はノベルゲーム特有の分岐による複数の可能性の物語の描写と充分に長い物語を描くことができるという特徴に起因しており、アニメではそのまますべてを描くことができません。このためアニメでオーラスルート前に描かれたのはアニメオリジナルの別の可能性を描いた物語でした。しかしこの物語に使うことができた時間は1クール分と非常に短く、その中で5人のヒロインルートでそれぞれ描写された世界やヒロイン達の現状を描く必要があり、実際描き切ることができませんでした。そして描き切ることができなかった部分はダイジェストで描写されました。

 

これらの問題としてダイジェストで描写してしまったことで原作であるゲームのプレイが前提となってしまい、新規の視聴者には伝わらないという問題が発生しました。このためオーラスルートにたどり着くまでにヒロインルートで作り上げてきたキャラクター達への愛着もしっかりと植え付けることができず、オーラスルートでの主人公の選択の重みが軽減されてしまっているという問題が存在します。

 

このように本来長いプレイ時間と分岐によって作り上げられるキャラクター達への愛着やすべてを救うことへの難しさの描写が非常に甘くなっておりこの作品のアニメ化はファンの間では黒歴史化しています。

 

以上のように選択肢による分岐を物語の軸に加えている場合、その重要性を描き切ることは非常に難しく、原作で本来あったはずの葛藤や切り捨てる苦悩という部分が消えてしまうという問題発生しています。なのでノベルゲームはアニメやライトノベルの下位互換とは必ずしも言えないのではないでしょうか?

 

5.見捨てることへの重みとその弊害

 

ここまで選択肢や物語の分岐による物語の広がりについてお話してきましたが、必ずしも良いものばかりとは言い切れません。これらの分岐を意識した作品の中でもオーラスルートが存在する作品において特に象徴的に存在してしまっている問題が存在します。それはオーラスルートに力を入れすぎることで他のヒロイン達が踏み台扱いになってしまうということが起こってしまうことです。事実オーラスルートが存在する作品の多くはそのルートに力を入れすぎることでシナリオ、演出が偏り、メインヒロインに特化した作品となってしまう作品が存在します。この章ではそんな作品についてお話ししましょう。

 

まずこのような構造となってしまっているものとして有名な作品に2007年にKeyから発売されたリトルバスターズ!が例が挙がるでしょう。

リトルバスターズ!エクスタシー|Key Official HomePage

http://key.visualarts.gr.jp/product/little/images/main_little_pe.jpg

 

主人公・直枝理樹は、幼馴染である棗恭介、その妹である鈴、同じく幼馴染の井ノ原真人、宮沢謙吾と共に全寮制の学校に通っていた。彼等は昔、何かを悪者に見立ててそれを成敗する正義の味方「リトルバスターズ」を結成し、色々なことをしてきた。両親と死別し塞ぎこんでいた理樹にとって、自らを外に連れ出し広い世界を教えてくれたその存在は大きかった。時に無茶苦茶で考えられない行動をする彼等に巻き込まれながらもそのことを楽しく感じて彼らと一緒にいた理樹は、「ずっとこの時が続いたらいいのに」と考えていた。

ある日、3年生である恭介が就職活動から帰って来た。理樹は「リトルバスターズ」の4人に、「昔みたいに何かしよう」と持ちかける。それを聞いたリーダー・恭介は近くに置いてあったボールを拾い上げ、宣言するのだった。

「野球チームを作ろう。……チーム名は、リトルバスターズだ!」

リトルバスターズ! - Wikipedia

 

今作は主人公とメインヒロインを8人の友人たちが命を懸けて成長させ、2人を悲劇から救い出そうとする物語となっています。この上で重要になってくるのがこの8人のうち5人の持つ問題に主人公たちが向き合うことによって成長していくという構成を取っていることです。この5人の物語を描いている間は物語の発生した理由、背景、そして本質が意図的に隠されてしまっています。そしてその本質が語られるのは5人(正確には1人だけ残っていますが…)が退場した後の2人の幼馴染である3人の少年たちとのオーラスルートです。このオーラスルートは非常に評価が高く、この作品の核として語られることが多く、演出、音楽、シナリオのいずれをとってもヒロインルートと一線を画すものとなっています。

 

 ここで注目すべきなのはこの作品においてヒロインルートはどのような意味合いがあったのかという問題です。ヒロインルートは前述のとおり2人を成長させるための物語という側面が強く、踏み台になってしまっているのではないかという批判が存在しており、事実この作品は分岐によって物語が広がっているように見えるものの、実際は一本道になっておりヒロインルートの行く末は詰んでいます。このためノベルゲームにおける分岐から生まれる可能性の広がりという部分では欠陥がある構成となっているのではないでしょうか?また今作である選択肢で2人で生きていくか?他のみんなを助けるのか?という選択肢が存在します。この選択肢は最終的には後者がTrue ENDとなっており、ほかのみんなを助けることで物語が完結します。しかし前者の選択肢の物語への支持も強く、こちらをTrue ENDにした方がよかったという声も存在します。もしこの前者がTrue ENDだった場合他のヒロインは最後まで救われることなく物語が終わってしまいます。

 

このヒロインの軽視の原因になっているのもオーラスルートに力を入れ過ぎたことにより、他のヒロインルートが疎かになっているからではないでしょうか?確かに今作は物語全体として見れば充分名作の域にあるのですが細部に目を向けるとこのように欠点も見えてきます。本来ノベルゲーにおいて救うことのできないことへ歯がゆさと救うことができたときの感動と未来の広がりが特徴として存在にするにもかかわらず、疎かになっているのはノベルゲーとしての欠陥と言わざる言えないでしょう。

 

このようにオーラス構成となっている作品の場合、オーラスルートに力を入れ過ぎた結果他のヒロインルートがおざなりとなっているという例が多く存在します。2012年にSAGAPLANETSから発売されたはつゆきさくらもその一つといえます。

 

はつゆきさくら

http://sagaplanets.product.co.jp/works/hatuyuki/top/hs_top_01.jpg

 

2つの復讐心を抱える主人公・初雪は、不良と呼ばれながらも律儀に白咲学園に通っている。卒業を控えた初雪は、学園やアルバイト先で様々な事情を抱えた少女たち(転校生の玉樹 桜・浪人生の小坂井 綾アイスダンス選手のあずま 夜・初雪を尊敬する東雲 希・受験生のシロクマ)と交流していくうち、やがて1人の少女と恋仲になる。

はつゆきさくら - Wikipedia

 

今作は大きな後悔を抱えた少年が未来へと進めるようになるまでを描いた作品ですが、この少年の後悔を本質的に清算できるのはメインヒロインである玉樹桜のみであり、それ以外のルートのほとんどでは少年は未来へと進むことができず、ヒロインとの別離が描かれています。そしてオーラスルート以外のヒロインでの物語は設定の公開に終始している部分が強く、特にシロクマルートはその傾向が強くなってしまっています。

 

このようにオーラスルートに力を入れるあまりヒロインルートが疎かになり、オーラスルートへの踏み台となっているケースが多くあります。メインヒロインの物語の重みが増すという意味では確かにこの構成はいいのかもしれませんが、今回挙げた作品のように一点に集中させてしまうとヒロイン達が報われず、本来エンディングの先にあるべきはずの可能性が収束してしまっているという欠点が存在します。しかし、見捨てた存在をはっきりと明確にし、オーラスルートに特化させることでテーマをより強固にした作品も存在します。

 

6.見捨てた事実を突きつける物語

 

ここまで分岐による物語の広がりとギミックへの利用、他のメディアとの差異、そして主流であるオーラスルートの弊害についてお話してきました。この章ではこれらのギミックを利用し、ノベルゲーにしかできない、かつオーラスルートの弊害と向き合って構成された作品についてお話しようと思います。

 

まず初めにFAVORITEから発売された2011年の作品であるいろとりどりのセカイ、2012年に発売されたいろとりどりのヒカリについてお話します。

 

いろとりどりのセカイ WORLD'S END COMPLETE

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51gdl%2B%2BCXfL.jpg

 

鹿野上悠馬は魔法使いの真紅から“他者の傷を癒す”能力を与えられ、学生寮・嵐山荘(あらしやまそう)の地下室から異世界へと行き来しながら、依頼主を束縛や危機から自由にする「逃がし屋」の仕事をしている。灯台から飛び降りた所を助けた加奈、幼なじみの澪、嵐山荘の住人達、そして異世界の者達と過ごす日々の中で、悠馬は彼らの問題に向き合い、自分の大切な“約束の場所”や失われたものを探していく。

いろとりどりのセカイ - Wikipedia

 

 この作品はいろとりどりのセカイが本編、いろとりどりのヒカリがFDということになっていますが、実際はいろとりどりのヒカリはFDというには作中であまりに大きなテーマを扱っています。まずはいろとりどりのセカイから、今作は恋を知らない2人が恋を知り、幸せになるまでを描いた作品です。今作において相棒ポジションであり、メインヒロインである二階堂真紅は他のヒロイン4人との物語を終えた後に攻略が可能となります。この過程で主人公が他のヒロインと結ばれ、それまで自覚することがなかった恋心を自覚し失恋して主人公と別れるという経験を繰り返すことになります。そして彼女の物語に入ることで初めて彼女を選び、これまでの物語で知った恋心を叶えようとし、ある少女達を犠牲にすることで恋心を叶えることになります。

 

ここで重要になってくるのがこの物語の舞台自体が主人公と二階堂真紅に恋心と願いを叶えさせるだけに作る世界であったという点です。そして他のヒロインを含む登場人物は2人の願いを叶える為だけの存在であり、悲劇を背負った存在として作り出された存在となっています。そして彼女たちの悲劇が解決されるのは彼女たちのルートのみであり、最終的に彼女達を救わずに二階堂真紅と結ばれるという選択肢を取ることになります。この構造は前述のリトルバスターズ!と同様に他のヒロイン達が踏み台となる構造となっており、主人公が作中で犯した多くの罪も清算されることなく終えることになります。

 

そしてその清算の物語となっているのがいろとりどりのヒカリです。この物語では主人公が犯した罪の被害者や踏み台としてきたヒロイン達にその事実を糾弾されることになります。そして主人公はそれでも二階堂真紅と結ばれることを選ぶか、それとも彼女と結ばれることを諦めて誰かへの罪を清算することを選ぶかという選択を突きつけられることになります。

 

この作品の主題となっているのは一番最初にお話ししたKanon問題の本質である「誰かを救うことで他のヒロイン達は救われず悲劇に直面してしまう」というものです。それでも二階堂真紅を選ぶことができるのか?犯した罪を乗り越え幸せになっていいのか?そんなテーマを2つの作品にわたり、たくさんの優しい人たちに支えられた姿を描くことで作り上げることに成功しています。また他のヒロインルートで二階堂真紅を傷つけてきたという事実を知っているからこそ罪深さと葛藤が生まれるという構成になっており、ノベルゲームという媒体であるからこそできた物語であるのではないでしょうか?

 

またヒロインルートにおいて他のヒロインを切り捨てたことを突きつけることでオーラスルートにおける感動を作り出した作品が存在します。それは2017年にウグイスカグラから発売された水葬銀貨のイストリアです。

 

kagura.rdy.jp

 

海上に作られた人工島である水の都・アメマドイでは一見、華やかで彩りのある美しい町並みだが、様々な陰謀が渦巻く。

水葬銀貨のイストリア - Wikipedia

 

この作品において主人公はどこまでも苦しい選択を何度も何度も突きつけられ、そのたびに苦しい思いをすることになります。そしてその象徴ともいえる二択が存在します。それは救うと誓い、主人公のことをどこまでも信じてくれる少女と自分にとってたった一人の大切な家族である妹のどちらを見捨てるのかという選択です。この選択肢はプレイヤーに突きつけられた初めての選択肢であり、作品の象徴ともいえるものとなっています。

 

この選択肢によって物語は変化し、見捨てたヒロイン達は戻ってくることがありません。そしてこの見捨てる選択の対象になったヒロイン達は共に作中の日常描写における要のような存在となっており、片方が消えることでどちらの物語も大きく色褪せ、どこか味気ないものとなってしまいます。またヒロインルート自体もどこか薄味なものとなっており、後味がいいものとは言い切れません。しかしこれは逆の見方をすると誰かを見捨てたうえでの幸せは所詮はまがい物でしかないという製作者からのメッセージとも取れるのではないでしょうか?これは作中でもある人物からはっきりと伝えられます。そしてどちらも見捨てないという選択を選んだ先の物語は悲しい別れはあるもののどこまでも可能性に満ちたものになっています。諦めの先の物語にある暗い部分をしっかりと描いたからこそオーラスルートで救うことができた物語への感動が生まれる。この作品はそんな作品といえると思います。

 

このように切り捨てた可能性を描き、そこに我々の視点を向けさせることで見捨てた罪を自覚させるシナリオはアニメやライトノベルでは再現できないものであり、そしてオーラスルートという形式をとることで初めて描く物語であると言えるでしょう。

 

7.終わりに

 

いかがだったでしょうか?Kanon問題はすべてのヒロインを救うことができないという事実を嘆きが故に問題です。そしてそれを悲劇と取るかどうかは人それぞれだと思います。しかし私はこの問題と向き合わずしてノベルゲームの名作は生まれないと考えています。選ぶことで誰かを傷つけ、そして可能性を潰すことを自覚させることで潰してしまった可能性に想い馳せることができる、これは現在の物語性を意識した媒体においてノベルゲームほど適切な媒体は存在しておらず、これから先も生き残り続けるべきだと思っています。

 

そしてノベルゲームをやる上で是非とも忘れないでほしいことがあります。それは選ばなかったヒロイン達の存在を忘れずにルートを進めてほしいということです。選ぶことのなかったヒロイン達の想いは他のヒロインのルートに入った時描かれれることはまれです。ですがもしそれまでに攻略してきたヒロインがいるのならばどう思っているのかは容易に思いつくと思います。なので進めるにあたってその表情の裏の想いをもっと想い馳せてみませんか?そこにはきっと彼女たちにしか見えない物語があります。その物語を読み取ることもノベルゲームにおける楽しみではないでしょうか?その行動には痛みが伴うと思います。辛くてゲーム自体を投げ捨ててしまいたくなる時もあると思います。ですがその物語があるからこそ彼女たちの物語はどこまでも輝きます。どうか主人公の感情の推移だけでなく周りのキャラクター達の想いにも目を向けてみてください。そこにはきっと思いもしなかったたくさんの物語があると思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

正直伝わり切れなかった部分も多くあると思います。そして私自身完璧に伝えきることができているとは思いません。しかし現在謳われているエロゲーギャルゲー業界の衰退は私にとって悲しい事実であり、何か一つでも返せるものがないかと思いキーボードを叩いています。

 

ノベルゲームにおいて演出やギミック、物語の展開が大きな評価の基準となりやすい傾向があり、シナリオゲーにおいては特に顕著であることも事実です。しかし本当にそれだけが評価すべき点であるかといわれるとそうではないと思っています。書かれることがない物語に想いを馳せ、その感情の機微を選択肢によって分かれていく可能性によって描く、そこにも目線を向けるべきではないでしょうか。そんな想いを伝えたくてこの記事を書かせていただきましたが伝わったでしょうか?

 

確かにノベルゲームは値段も高く、プレイしにくいうえに時間もかかる今のライフスタイルにどこまでも反した媒体です。しかしそんな媒体だからこそできることを見つめ、本気で向き合っているクリエイターの方々はたくさんいます。だからどうかもし何か引っかかるものがあるのなら、気になった作品があるのなら一度手に取ってみてください。その一作の向き合い方ひとつで大きな何かが開くことができるかもしれません。

 

最後になりましたが、今回の記事においてたくさんの作品を挙げてきました。どの作品も癖はあれど私にとって心に残る名作ばかりです。もし気になった作品があるのなら是非手に取ってみてください。そしてできるならそのシナリオを書いた方の最新作も触れてみてください。断言はできませんがきっと変わらず名作を作っていますから…

 

H.30.11.27 1:12 保坂新