【ライター考察記事】0.セカイ系と要素の考察~世界とセカイの違い~(前編)
久々の…というかKanon問題記事以来のガチ記事です。
セカイ系という誰も明確な定義なんて持っていないのに安易に使われ続け、いつの間にか崇高なもののように扱われている言葉を再定義し、以前から提唱しいているノベルゲームの4大要素について語りたいと思っています。
今回考察記事なんて名前を付けていますが、ただの戯言です。
ただここで語る内容をベースにどんな要素が得意なライターなのかを語っていきたいと考えています。
以上のことを踏まえた上でお付き合いいただける方はありがたく思います。
では一つお付き合いを。
1.セカイ系とは?
セカイ系という言葉は皆さん一度は聴いたことがあるのではないでしょうか?
最近では「君の名は。」や「天気の子」といった作品はこの系統の作品であるという評価を得ていました。
この言葉自体は「新世紀エヴァンゲリオン」と大きな関係性があり、セカイ系という言葉が成立する前後ではヱヴァっぽいという言葉で括られています。そしてこの言葉自体は80年代~90年代からのマニア層がこれらに該当する作品を嘲笑するために使われてきた言葉でもありました。
そんな中でこの言葉を肯定的に扱うために東浩紀氏らがこのように定義しました。
それによればセカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、代表作として新海誠のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作を挙げ、肯定的な評価を与えた[9]。
この定義によりますと、主人公とヒロインを中心とした小さなコミュニティの問題が、大きな世界へと直結してしまう物語がセカイ系に該当するとなっています。
しかし本当にこの定義は正しいのでしょうか?
大本のセカイ系の原義に立ち戻ってみましょう。
筆者なりに、これまでの流れを踏まえたうえでセカイ系の定義をするのなら、
「『新世紀エヴァンゲリオン』の影響を受け、90年代後半からゼロ年代に作られた、巨大ロボットや戦闘美少女、探偵など、オタク文化と親和性の高い要素やジャンルコードを作中に導入したうえで、若者(特に男性)の自意識を描写する作品群。その特徴のひとつとして作中登場人物の独白に『世界』という単語が頻出することから、このように命名された。命名者はウェブサイト『ぷるにえブックマーク』の管理人、ぷるにえ」
元々ヱヴァっぽいと呼ばれていた作品は何か?それは「一人語りの激しい」、「たかだか語り手自身の了見を『世界』という誇大な言葉で表したがる傾向」といった特徴の作品のことを指している言葉でした。確かに新世紀エヴァンゲリオンは世界の存亡が少年少女の両肩にかかり、その葛藤や人との関わり合いを大きな焦点に置いている作品です。ですが、物語の中で大きなウエイトを占めているのはその葛藤とどのように向き合い、どう変わっていくかになっています。
この他にも今もなおセカイ系の担い手として名が挙がる新海誠監督の出世作である「ほしのこえ」はこの傾向が強く、離れ離れとなるギミックとして世界の存亡をがかかったパイロットとしてのヒロインの描写が存在しています。しかし作品自体はこの言葉に集約されているのではないでしょうか?
世界っていう言葉がある。私は中学の頃まで、世界っていうのは携帯の電波が届く場所なんだって漠然と思っていた
世界のために遠く細くなってしまっていた2人の小さなコミュニティを繋ぐものの存在を描いたのがほしのこえという作品です。実は小説版では映画のその先が描かれています。興味があったらご一読を。
この作品の映画版にはどうして戦うのか、どうしてそのような世界になっているのか取った説明はほとんどありません。基本は主人公とヒロインのメールのやり取りとその心情を語るだけの作品です。このように世界の存亡以上にそれによって発生する小さなコミュニティの変化とそれに向き合うキャラクター達の心情の変化が大きなポイントになっています。
そして我々が愛好しているノベルゲームにもこのような要素は存在します。
その上で語るに欠かせないのが麻枝准率いるKeyが製作し、20年が経った今でも愛され続けている「AIR」です。
まずは簡単にあらすじを振り返ってみましょう。
その町には夏が訪れていた。
バス停の前で人形を操るひとりの青年。その周りには子供が二人だけ。観客の興味を引くには、青年の芸は退屈すぎた。子供たちは興味を失い、その場を走り去った。
青年は旅のひと。彼の道連れはふたつ。手を触れずとも歩き出す、古ぼけた人形。
「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束。そんな彼に、話しかけるひとりの少女。
人なつっこく、無邪気に笑う。彼女との出会いをきっかけに、この土地での暮らしが始まる。夏の情景に包まれて、穏やかに流れる日々。
陽射しの中で繰り返される、少女たちとの出会い。
夏はどこまでも続いていく。
青く広がる空の下で。彼女が待つ、その大気の下で。
AIRという作品は前述したとおり、セカイ系の1つの作品と呼ばれ、麻枝准というシナリオライターの地位を絶対的なものにした作品です。この作品で主に描かれるのは田舎での夏の物語、その小さなコミュニティの中でヒロインと向き合い後悔を解決していくことが大きな主題となっています。そして何よりこの作品の中には世界の存亡という要素は入っていません。
メインルートである神尾観鈴の物語は特にこの側面が強いです。確かに考察を行えば過去編における出来事と世界の存亡はこじつけることができるかもしれません。ただそれは出来たところでこじつけでしかありません。この物語は神尾観鈴がどのように夏を過ごし、どのように人と関わり、そして幕を下ろすかが大きな主題です。ここに世界の存亡という要素は介在しません。彼女がこの小さなコミュニティでどういう思いで生き切るかが重要になっています。
このようにセカイ系と呼ばれるものの中にも世界の存亡が大きな要素として存在していない作品は複数あります。天気の子といった作品においても選択の正しさの重みをつけるために世界の存亡という要素が入ってきていますが、そこは主題ではないと私は考えています。
ではセカイ系とは何なのか?そもそも先に挙げた定義も一例であってその定義はあいまいなものです。
ある意味、肯定者も否定者も、自分の肯定したい作品、否定したい作品をセカイ系名づけ、自分なりの定義で論じ、すれ違うという、残念ながら不毛な議論に終始してしまった面があるのだ。
そもそもこの言葉自体がエヴァっぽい作品を揶揄するために生まれた言葉というのもあり、否定的な意味で使われる言葉でもあります。このため人によってはセカイ系と呼び、別の人からはセカイ系ではないと表現されることも多くあります。このためどの作品がセカイ系であるかを論じるばかりでセカイ系とはそもそも何かが明確にされることなく、個々の基準で語られてきました。
2.セカイと世界
ここまででセカイ系のその曖昧さを語ってきました。この章では今我々の目の前にある作品、とりわけノベルゲームに主眼を置いて一度定義を見直していこうと考えています。
出はもう一度原義を振り返ってみましょう。
大きなポイントは
- 一人語りの激しい
- たかだか語り手自身の了見を『世界』という誇大な言葉で表したがる傾向
この二点です。
これらを大きなポイントとすることで描かれる
- 登場人物の内面描写
- 変化していく関係性
- 小さなコミュニティを主題とした環境
がセカイ系と呼ばれる作品の要素になっていると私は考えています。
では一つ例を挙げてみましょう。それはセカイ系作品と呼ばれ発売してから長く時間の経った今もなお人を惹きつけている「CROSS†CHANNEL」です。
夏。
学院の長い夏休み。
崩壊しかかった放送部の面々は、個々のレベルにおいても崩れかかっていた。
初夏の合宿から戻ってきて以来、部員たちの結束はバラバラで。
今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。主人公は、放送部の一員。
夏休みで閑散とした学校、ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。屋上に行けば、部長の宮澄見里が、大きな放送アンテナを組み立てている。
一人で。
それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。
以前は皆で携わっていた。
一同が結束していた去年の夏。
今や、参加しているのは一名。そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。
ともなって巻き起こる様々な対立。
そして和解。
バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。そして夏休み最後の日、送信装置は完成する―――
装置はメッセージを乗せて、世界へと―――CROSS†CHANNEL -FINAL COMPLETE- [CROSS CHANNEL] | DLsite 美少女ゲーム - R18
この作品で大きな主題となるのは
- 8人だけで構成された閉じた世界
- 終わりなく繰り返される日々
- 人と関わり合うには大なり小なり問題を抱えた少年少女
この三点です。この中にはやはり世界の存亡といった彼らが構成する世界よりも大きな世界がどうなるかは書かれません。小さくどこまでも歪なコミュニティの物語です。
その中でそれぞれのキャラクター達が自分の意思を持ち、明確な行動理念で動き、問題を抱えながら他のキャラクターとやり取りを行い、その上で問題を乗り越えて閉じた世界から去っていくという構成になっています。
ここで私が強調したいポイントになってくるのが次のワードです。
小さなコミュニティの中でキャラクター達が関わり合いその上で物語が展開していく、これこそが小さな『セカイ』を描いた物語、『セカイ系』なのではないかと私は考えています。
CROSS†CHANNELにおいてこのセカイは比較的批判的に描かれます。ようやく結んだ関係性を崩し、現実の世界に突き返すことを繰り返すうちに世界を否定した彼がその存在を大切さを認めるというのがこの作品の主旨だと考えています。そして作中で大きなウエイトをかけて描かれるのは先ほど三点です。このようにどの世界でどのような展開で進むか以上にどのようなキャラクターが何を思って進むのかを描く作品こそセカイ系ではないでしょうか?
これの要素は前述したAIRにおいても描かれています。
AIRにおいて重要なポイントは
- どこにでもある夏の田舎
- その田舎で出会った問題を抱える少女
- 日々を繰り返すことで進行していく関係性の変化を重視
- カタルシスはあるが基本は日常描写を繰り返すことで物語が進行
以上のようになると考えています。
AIRといえば「ゴールしてもいいよね?」などのシーンを浮かべる人が多いと思いますが、大きなベースとなっているのは本当に些細な日常です。ただ夏を満喫しようとしている少女とそれに寄りそう青年のやり取りが一番重要な要素となっており、それらを構成する上で加えられている翼人伝説といった設定はフレーバーテキストでしかありません。メインライターである麻枝准氏はその後このようにこの作品を解説しています。
えーっと、悲劇を終わらせるといういい方はちょっと正しくない言い方なんですよね。説明しずらいんですが、最後の記憶は幸せじゃないとだめなんです。観鈴みたいな子は1000年の間に何十、何百、といたんだけど、みんな幸せになれなかった。でも観鈴はちゃんと自分の運命に向き合って、戦って、晴子ととみに幸せな記憶を翼人として地球に伝えた。ようは翼人っていうのは地球からの使いで。今の地球は幸せかどうかを伝える役割を担っていて。で、その使いが滅ぶとき。地球に伝える最後の記憶は幸せじゃないと駄目で、1000年かけてようやく観鈴が終わらせた、という話です。
『オールアバウトビジュアルアーツ ~VA20年のキセキ~』
AIRはその設定で壮大な物語のように考えている方もいらっしゃいますが、その本質は親から子への愛の物語です。前述のとおり母なる大地である地球に対して子である使いの翼人が幸せであることを伝えるための物語となっています。このようにセカイ系と呼ばれる作品もその要素を分析していくとこれらの要素が見え隠れする作品が多いと考えています。
ここで一度セカイとセカイ系という言葉を明確に定義してみましょう。
私の考えるセカイとセカイ系の定義は次の物です。
セカイ:世界と呼ぶには小さく数人で構成された内的なコミュニティ
では対して世界とは何でしょうか?
今回セカイという言葉を定義付けるために使いましたが、物語における世界とはに関しても一つの定義を作る必要があると思います。
一般的な世界という言葉はこちらです。
① 地球上のすべての国家・すべての地域。全人類社会。 「 -の平和」 「 -最高の山」
② 物体や生物など実在する一切のものを含んだ無限の空間。宇宙。哲学では社会的精神的事象をも含める。また、思考・認識する自我に対する客観的世界をさすことも多い。 「可能-」 「 -の創造」
③ 自分を中心とした生活の場。自分の知識・見聞の範囲。生活圏。世の中。 「新しい-が開ける」 「ピカソの-」 「あなたと私とでは-が違いすぎる」 「君は-が狭いよ」
④ 同一の種類のものの集まり、またその社会。 「動物の-」 「勝負の-は厳しい」
様々な使い方をされる言葉ですが、やはり①が一般的な意味だと思います。この言葉を今回のセカイと対比的に使うためにこのように定義していきます。
世界:主人公達を取り囲む彼らの意思によって変化を与えることは基本的に不可能な大きなコミュニティ
世界という言葉はすべての人物を取り囲む最も大きなコミュニティであり、小さなコミュニティの集合体でもあります。このためこの大きなコミュニティを保つためにも小さなコミュニティを結ぶためにも社会的システムが存在しています。これがしがらみになることで1人の人間の行動では世界は変わらず、影響を与えるには大きな代償や自分たち以外の多くの人の存在が必要になる場合が多く、これらをいかに手に入れるかを焦点とした作品になりやすいです。
一例挙げてみましょう。
SF作品としての評価も高い「BALDR SKY」です。
それは何気ない日常の崩壊から始まった。
いつものように「あいつ」にやさしく揺さぶり起こされるのを待ちながら、
寮のベットでまどろんでいた甲は、女性の叫び声に起こされる。
目覚めた甲の目の前にあったのは、銃声と爆発の閃光が交錯する戦場。
目の前に迫る機械の爪を受け止めた自分の腕は鋼鉄の甲冑に覆われていた。「ここは仮想?しかしこの光景は一体!?」
甲のことを中尉と叫び、自分はその部下だというレインと名乗る女性に促されるまま、シュミクラムを駆り、仮想の戦場からリアルへ脱出する甲。
脱出した先は清城市。
そこは自分の知る学園時代とは似てもにつかない、荒廃した都市であった。
自分が学園生であると思っていた甲は、それはすでに数年前のこと、
現在の自分は傭兵として幾多の戦場を潜り抜けてきた敏腕で、優秀なシュミクラムユーザーであることを知らされる。自らの人生に大きな意味を持っていたはずの、失われた記憶…。
深い霧に包まれた記憶から浮かび上がってくる事件の名は‘‘灰色のクリスマス’’
灰色のクリスマスとは?なぜ自分はその事件を追っていたのか?その事件に自分はどう関わっていたのか?
過去と現在の二つの記憶を辿りながら、甲はやがてこの世界に起こった重大な事件の顛末と、
その真の意味を知ることになる…。
永久に続いていくと思われた平和な日々…
だがそれは突然終わりを告げるBALDR SKY Re.price Dive1 ‘‘Lost Memory’’ - アダルトPCゲーム - FANZA GAMES(旧DMM GAMES.R18)
BALDR SKYは1999年~2017年の間展開されていたBALDRシリーズの一作でエロゲ業界では珍しいアクション要素がメインとなっている作品です。
このシリーズの物語における大きな特徴としてアクション要素であるマシンを違和感なくその世界に導入するための世界観構成が大きな特徴となっています。
またその中でもこのBALDR SKYはシナリオが非常にな多い評価を得ており、2009年発売してから今もなお多くの支持を集めている作品です。
この作品のポイントは
- 電脳世界と現実を描いたサイバーパンクの世界観
- 話が進行するうちに判明していく謎と結末の変化
- アクションとシナリオを無理なくつなげるための展開
この3点になってくると思います。
この作品は攻略順が固定されており、必ずレインルートから始まることになります。このルートは最初から最後まで周囲の出来ごとに翻弄されるばかりで謎が何も解決することなく物語が閉じるという構成になっており、続く菜ノ葉、千夏、亜季、真と続くうちに何が起こっていたかが少しずつ判明していき、最後の空ルートで世界観も含めた作品の全貌が判明していくという流れになっています。またレインルートでは特に顕著になっているのですが、仲間が全て揃っていない状態では世界の真実にはたどり着けず、すべての悲劇を回避することができなくなっています。これは前述した世界の定義に当てはまるものではないでしょうか?
またこの作品の世界観は非常に評価されており、シュミクラムや電脳世界といった設定は初出であるBALDR FORCEからその後の作品にも利用されており、最終作であるBALDR BRINGERまで利用されました。この世界観は謎の提示や現実との対比などを行うことで最大限に活用されており、最終ルートで明らかにされる謎も世界観に根差したものになっています。
反面この作品における恋愛描写はかなり雑目に描かれています。各ルートで恋人となるヒロインとのきっかけはヒロインから主人公への感情の変化が明確に書かれることは多少あれど、主人公からヒロインへの感情の変化はほとんど描かれません。このように恋愛部分、ひいては関係性の描写という部分は少し甘めです。この部分はアクションパートを共に戦うという部分で補完されている部分もありますが、一部ルートではその判断はどうなんだと思わなくもないものもあったりします。
このように人と人との関係性以上に世界観の描写に注力した作品は世界を重視した作品、つまり世界系と呼ぶことができるのではないかと考えています。
よって世界系という言葉はこのように定義しましょう。
世界系:世界を舞台とした世界観の描写や出来事をメインとした物語
世界観と言った大きなものを描写する上でどのように動き、どのように変化を与えようと動くかがこれらの作品における焦点になるのではないでしょうか?
3.セカイと世界の要素
ではここまでセカイ系と世界系の定義を行ってきました。
ここで一度今回定義した言葉を並べてみましょう。
セカイ:世界と呼ぶには小さく数人で構成された内的なコミュニティ
セカイ系:セカイを舞台としたキャラクター同士のやり取りをメインにした物語
世界:主人公達を取り囲む彼らの意思によって変化を与えることは基本的に不可能な大きなコミュニティ
世界系:世界を舞台とした世界観の描写や出来事をメインとした物語
ではこれらはどのようなものによって構成されていて、何がその区分になっているのかを考えていきましょう。
では早速馴染みのあるものを使ってみましょう。「5W1H」です。
What:何が
Who:誰が
When:いつ
Where:どこで
Why:なぜ
How:どのように
まずはわかりやすいものからいきましょう。
What、「何が」ですがこれは作品のテーマが当てはまると考えています。この作品でどのような物語を描くかいうものです。しかしこのテーマだけでは作品の傾向は定めることはできません。
例えばありきたりなテーマでありますが、「青春」というテーマを掲げたとします。このテーマを掲げた作品として「アオナツライン」と「かけぬけ青春★スパーキング」というものがありますが、その傾向は大きく変わってきます。このようにどのような物語かを端的な言葉で表現したとしてもそのアプローチが異なれば物語の傾向も大きく変化していきます。
次にWhen、「いつ」ですがこれは一番わかりやすく作中で描かれる時間でしょう。季節やその期間、主に描かれる時間帯なんかもその例に入ってくることになると思います。「放課後シンデレラ」のように学園でのやり取りのシーンを基本的に減らし、ヒロインと過ごすシーンは放課後とすることで作品を成り立たせています。この他にもヒロインと共に成長していくことを表現するために10年以上の年月を丁寧に描き切った「銀色、遥か」という作品もあり、どの時間をどれだけの期間描き切るかも大きな作品の要素だと考えています。
さてここまで挙げてきたWhatとWhenの要素なのですが、これらは作品の土台となる部分になりやすくどのような物語を描くかには大きく影響しません。この2要素はセカイや世界で挙げた人や世界観のどこを切り出すかに大きな影響を与えるものであり、直接それらを構成するものではありません。
そして残りの4要素ですが次のように表現できると考えています。
Who:キャラクター
Why:関係性
Where:世界観
How:ギミック
私の記事やレビュー本を読んだことがある方なら何となく見覚えがあると思いますが、いつも提唱している奴です。(一応レビュー本のものは評価用にチューニングしているので微妙に違いますが……)
では一つずつ考えていきましょう。
まずはWho、「キャラクター」です。
これはキャラクターデザインや声優といった表面的な要素も含みますが、そのキャラクターがどのような考え方でどのように振る舞うかという要素も大きな要素だと考えています。前者と後者のどちらを強調するかは作品の傾向によって大きく変わってきますが、登場人物の組み立てるコミュニティという面に注目すれば重要な要素になってきます。「どっちのiが好きですか?」ではこの要素を深掘りするために1人のヒロインに対して2ルートを用意し、それぞれ違う向き合い方をすることで見ることができる表情変化させてそのヒロインの考え方や振る舞いの意味合いが見え隠れする構成になっています。
さて前述したとおりこの要素は登場人物たちが作り上げる小さなコミュニティ、つまりセカイを構成する大きな要素となっています。どのような人がどのような考えを持ったうえでそのコミュニティに身を置き、どのように振る舞うかという点はこの要素によって決定し、それはセカイを作るうえで大事な基盤になります。
対してそのセカイを動かしていくのは何か?それはWhy、「関係性」だと考えています。
人が動くうえで人との関係性は大きな理由となります。ヒロインとの告白に臨むまでの間柄の変化は勿論、付き合い始めてからの周囲との距離感や両親との関係性など物語の展開において大きな原動力となり、恋愛要素が強い作品では特に重視されやすくなっています。「星織ユメミライ」においてもこの要素はかなり強く強調されており、付き合うまでと付き合ってから、そしてその後の2人がどのように幸せになっていくかを周囲との関係性やヒロインとのやり取りの変化などを使って非常に丁寧に描かれています。
以上のようにセカイ系はそれを構成する「どのようなキャラクター」であるかとそのものを動かす「どのような関係性」であるかが大きな要素になるのではないでしょうか?
では世界はどのように構成されているのでしょうか?
まずは第一にWhere、つまり「世界観」です。
これは言葉の通り世界を構築する上で一番重要な要素になっています。ファンタジーやSF作品を作るうえで中途半端な世界観の構成は許されません。Aという出来事はどのような設定に根差しており、それを起こった理由まで深く設定されていることが多くあります。その最も顕著なのが「Fate/stay night」から始まったFateシリーズになります。このシリーズは様々な設定があり、その設定の半分ほどしか作中では出てこないことなんてよくあるシリーズです。実際TYPE-MOON初作品の月姫のころに提示された設定のうち未だにその片鱗さえ見えない設定はかなりの数あります。これらのシリーズを語るうえに重要になってくるのが設定資料集であり、型月作品を語るなら設定書を理解しないと怖い人達に総スカンを受けることが多くありました。他の作品でもこの要素を重視した作品では設定資料集や用語集が公式、または有志によって作成されていることが多くあります。
ではこれらの世界観で構成されたものを動かすものは何か、これをHowに当てはめた「ギミック」と表現しています。
物語がどのように展開していくか、どのようにキャラクター達を翻弄していくかがこの要素の大きなポイントになります。ここで重要になってくるのが前述した関係性との違いになります。関係性は人と人とのやり取りで物語を勧める要素になります。このため基本的にはキャラクターの意思がその動きに介在し、その感情さえ違えばまた違う展開が行われるのではないかと想定ができるものになっています。対して今回挙げたギミックは世界観を動かすものです。これはキャラクター達が干渉させえない世界を動かすため、それによって起こる展開はキャラクター達がどうあがいても基本的には起こってしまうものです。これを変える場合にはセカイ以上の枠組みのコミュニティによって流れを変える、またはキーとなる要素を持った人物が何らかのアクション(大抵自己犠牲)が必要になってきます。このように個人間ではそうどうしようもなく、その出来事にどのように向き合うことになるかが重要なポイントになるかがギミックには重要なポイントになってくるのではないでしょうか?この要素が強く出ている「もののあはれは彩の頃」は世界観に根差した展開とすごろくという不確定要素を取り扱った物語進行によって作中のキャラクター達を翻弄し続けます。その中でどのように生き残るのか、そしてその時点での最善の答えをつかみ取るかが作中での大きなポイントになっています。
以上のように世界系はそれを構成する「どのような世界観」であるかとそれを動かす「どのように展開させていくギミック」であるかが大きな要素になっているのではないでしょうか?
まとめます。
What,When:世界,セカイ問わずどこのどのような場面を切り取り物語にするかを決める要素
Who,Why:セカイにおけるどのようなキャラクター達がそのコミュニティを構成し、どのような関係性をもってそれを動かすかを決める要素
Where,How:世界におけるどのような世界観でその社会を構成し、どのようなギミックを用いることでその社会にいる人を翻弄するかを決める要素
以上のように考えられるのではないでしょうか?
さて次の章ではこれらの4要素の相関性について考えていきたいところですが……この時点で1万文字超えてます。以前のKanon問題の記事が2万文字越えだったのでまだそこまでいっていませんが、ほぼ確実に超えます。このため一度ここで打ち切らせてもらいます。
ということで後編へ続く!